その洋館は住宅地のなかで独特の存在感があった。異人館や大正ロマンを思わせる外観が魅力的な『秋口家住宅洋館』、建築されたのは大正5年(1916)で平成23年(2011)に国の登録有形文化財になっている。当初は歯科医院として、施主が地元の大工職人を神戸の異人館へ連れて行き、その様式を真似て建てられたという。
玄関上に外扉があり、バルコニーがあったのではないかと想像できる外観、1階は住居、2階に診察室、待合室、技師室などが残っている内観。当時では最先端で、市内では現存最古とも言われている。昭和初期に閉業以後は借家となり、住人が入れ替わり、2015年現在、もうすぐ築100年の歴史を刻もうとしている。
鈴木達也さんも秋口家住宅洋館に魅了された、その一人。職業は公務員で、休日に城下町彦根に数多く色濃く残る歴史遺産を調査したり、関連イベントを開催して、市民が誇れるまちづくり活動を続けている。2013年10月、江戸時代の町割りや古民家がきれいに残る「花しょうぶ通り」のマップ作成にあたって、ぜひ秋口家住宅洋館も紹介したい、と所有者を訪ねた。ところが、掲載許可どころか、諸事情で取り壊す予定だと聞いて驚くことになる。歴史有る建築物がなくなってしまう…衝撃を受けた鈴木さんは居ても立っても居られなくなり、彦根市文化財課や周囲の人に何とか残す方法はないかと相談に回った。そこで思い浮かんだのが鈴木さん個人による「移築」。すぐ文化財課に可能であると確認をとり、所有者に話を持ちかけたところ、快諾を得られた。文化財をとり壊すのは苦渋の決断だった所有者も喜んで譲渡を申し出てくれたのだ。条件はひとつだけ、一年以内に解体をお願いしたい。2013年が終わる頃のことだった。
取り壊しを免れてホットした鈴木さんだったが、次の期限付きの問題に悩まされることになる。建築のことは全く分からない。移築先の土地を探さないといけない。どこに頼めばいいのか?費用は?不安だらけのなか、とりかかったのが、解体と復元ができる業者探し。文化財の修復技術を持つ工務店をようやく見つけて、次に土地を探し始めたが、これが難航だった。文化財にふさわしく、城下町の古き良さを伝えるまちづくりの拠点となるような、地域と洋館が相乗効果を生むような場所。不動産屋、人づてに、鈴木さんも自分の足で探したが、なかなか見つからなかった。まず、城下町は間口が狭く縦長の土地がほとんど、横長の洋館に合う土地が少ない。せっかく見つかってもそこに至る道が狭くて、工事用の重機が通れない。多忙ということもあって、なかなか前に進めず、心が折れそうになっていた鈴木さんに手を差し伸べたのが、解体して一時保管してはどうかという文化財課の提案。そして、偶然にも適切な土地が見つかったのが、そのすぐ後だった。所有者との交渉は未定だったが、鈴木さんは先に進んだ。
2014年秋、文化財変更届が受理されるのを待って解体が始まる。復元のために板や柱ひとつ一つに記号や番号が記されて、順番に丁寧に取り外されていく。その工程のなかで、モスグリーン色の外観が当時は白色だったことが分かったという。また、押し入れの中には大正時代のものと思われる引札(ひきふだ:今でいう広告)が貼られていた。鈴木さんの当時へ馳せる思いが一層強くなった。間取りはもちろん変えずに、復元はできるだけ当時の姿を蘇らせよう。磨いて使える材料は使い、文化財の登録条件に反しない範囲での材料の代替はコストダウンのために行う。そんな仕分けの作業でもあった解体が、約束の期限2014年12 月、無事に終わった。
まだ移築先が決定していないが、復元後、1階は住居に2階は地域の交流場所にと、構想する鈴木さん。
「まち遺産の再発見活動で古き良き建築物とたくさん巡り合いました。それらは100年経っていても美しいし、これからも美しいと思います。一度、壊してしまったら二度と元には戻りません。まちの損失です。古いものを今様に残していくことで、まちの価値があがると思います。城下町彦根はどうしていったらいいのか、運命的な出会いで秋口家住宅洋館の主となった私が身をもって考え、発信していけたら、と思います。」
100年の前の大正ロマンはどんなふうに現代に蘇るのか、秋口家住宅洋館の新たな歴史の一歩がとても楽しみだ。
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記事作成:長束知香子
大正ロマンを次世代へ…秋口家住宅洋館ストーリー<復元編>
2017.6.27
国登録文化財「秋口家住宅洋館」の移築に伴う解体が無事に終わったのは2014年の終わり。鈴木さんは移転先として日頃の町歩きで目に留めていた土地の所有者から程なく快諾を得ることができた。文化財の継承を自ら所有し住んで実現しょうとする鈴木さんに共感してくれたのだと言う。その間、解体から復元を請け負った地元工務店では部材を調査し補修する等の作業が行われた。膨大な数と気の遠くなるような作業を見聞きした鈴木さんは(大変ないことをしてしまった)と思ったそうだ。だがその際、外観の板張りの重ね合わさった隠れた部分に見つかった塗料から元々の色が推定できた。この洋館は大正時代の新築当時、施主が職人を神戸へ連れて行き、異人館の様式を真似て建てられたという。平成時代の施主となった鈴木さんも工務店の社長と一緒に神戸へ出向き、数々の洋館を見て歩いた。その中でも白と緑を掛け合わせた外観が多かったことが確証になった。新築当時に倣い儀式のように視察を行った2人が微笑ましい。古き良き建築物を後世に遺したい、同じ志が完成までの苦労の日々を支えることになる。
工事着工の2015年8月から施工期間は9ヶ月、通常の約3倍かかったことになる。一旦解体し保管したことで微妙に変形した部材を合わせては修正し合わせては修正していく作業。木材の腐食部分に小さな木材をはめ込んでいく緻密な作業など。間違いなく新しくした方が早く楽でもとことん元の部材にこだわり、仕上げていく職人たちに鈴木さんは頭が下がる思いだったという。結果、建築基準法や景観条例などをクリアしながら元の部材の9割を活用。文化財や社寺建築を専門とする地元工務店に集結された職人たちによって一見分からないところまでほぼ完全に復元されたのだ。
2016年5月、復元工事を終えた洋館は周囲の景観と違和感無く佇んだ。その場所は江戸時代の五街道の一つであった中山道と城下町を結んだ「七曲がり」と呼ばれる道の一角。敵の侵入を遅らせるために文字通り道がL字に何度も折れ曲がっているといわれている。江戸時代中期に始まった仏壇製造の職人たちが集まり住んだことから店舗や工房、当時の町家が色濃く残る。町名の名称は一部変わっているが江戸時代から変わらない町割りが残る。ご近所の顔が見えるけれど適度な距離感のあるコミュニティ。歯科医院だった2階を地域の交流場所にと構想していた鈴木さんは完成時に一般公開を行った。毎年開催されるイベント「七曲がりフェスタ」では展示会場にも。展示は今昔絵巻と題して界隈のお宅に残る昔の写真と今を見比べる写真パネルが並んだ。歳を重ねた住民の方が同じ場所、同じような服装同じポーズで撮った写真も。おちゃめな姿に日頃のご近所付き合いがうかがえる。
「当時のまま1階は住居にしましたが、水回りは一般住宅と同じように設備しました。風が吹くと窓がカタカタ鳴りますが慣れたら全く気になりません。」と話す鈴木さん。「今回の復元工事で痛感したのは、古い家を残していくということは伝統的な建築技術を継承していくことでもあるということです。需要がなければ技術は磨かれないし伝わっていきません。彦根市内では、年間500~600棟の住宅が新築されています。もしも、そのうちの1%が新築ではなく古民家のリフォームに変われば、年間5~6棟の古民家が守られ、技術の継承にもつながるのではないでしょうか。年代を重ねないと味が出ない家に価値を見出す、空家ではなく住んでこそまちのためにもなるなど、彦根のまちづくりの展望や魅力を発信し、具体的な情報を得たり相談できる「小江戸ひこね町屋情報バンク」には期待が大きいです。」
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記事作成:長束知香子